みなさん、こんにちは。

昨日に引き続き、ぐんま100kmウォークの運営側による、一方的な想いを放出していきます。
思いつくままとりとめのない内容で書き綴ってしまう悪い癖で、つい、長文となってしまいます。
興味の沸くところ、共感できそうな箇所だけでも構いません。
お時間の許す方、読んでいただけると嬉しいです。

さて、今回は
ぐんま100kmウォークの魅力について、運営側からの思い込み(勘違いも含め)を発信いたします。

100kmウォークの魅力というのは
歩いたことがある人と
歩いたことがない人とでは
その感じ方は千差万別のはずです。

場所でも
食べ物でも
音楽でも
絵画や建造物も含め

見聞きしたことある
食べたことある
など
経験の有無によって違うのは勿論
経験した後のその人の感性によって
良し悪し、好き嫌いはそれぞれ分かれるものでしょう。

とくに文化的なものというのは
それぞれに蓄積した生活環境や思想感によって
受ける刺激はまったく違うもので
インプットは同じでも
アウトプットされる環境(感情)は
あらゆる可能性を秘めているのでは、と思うのです。

ということで、100kmウォークの魅力というのは
人それぞれであって
コレコレこうだと押し付けられるものではないのかもしれません。

私個人の感想としては
100kmウォークは、決して楽なことではないものの
目標たるゴールに到達したときの達成感は
何度経験しても飽きないものだなぁと感じています。
一つの爽快感でもあります。

コツコツとただ歩くだけなのに
最初は気分よく歩いていながらも
後半はツライ、痛い、苦しいの連続
なんでまた歩き始めてしまったのだろう?と
やや後悔もしつつ
それでも最後まで歩き通したい欲にかられ
徐々に短くなっていく残りの距離が心地良く
ゴールに到着するのは1度きりなのに
頭の中では何度もゴールするイメージを繰り返しながらも
ふと気づくと何も考えずに歩いている自分に気付くと
いつの間にか頭の中が空っぽになって無心で歩いていたんだなぁと

毎日の慌ただしい生活に追われているとき
必死に毎日を過ごしているわけですが
ふと気づくと時間の経過の速さに驚く時があります。

特に、仕事などで大きな問題が生じたときなど
正直ついてないなぁと思いながらも
なんとか堪えてコツコツ目の前のできることを
できる限りの力で進んでいると
その渦中のど真ん中にいるときはホントしんどいですが
ふと時間が解決して良い方向に向かう経験などを繰り返せたりします

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」
とはよく言ったもので
辛い苦い経験も含めて人は成長していくものなんですね。

一番最初に100kmを完歩した時は
1週間くらい筋肉痛が続いて
「二度としない。人にもおススメしない。」
と固く誓ったものですが
半年も過ぎてしまうと
その辛さや苦しさなんてすっかり忘れて
ゴールした時の達成感の方がじわじわと効いてきて
またそれを味わいたくなってしまう病が出てしまったのです。

自分が単に慎重ではない性格だからなのか
一歩踏み出した後の二歩目って
意外と躊躇せずに踏み出してしまうものです。

周囲からは「よくまあ歩くねぇ」と言われますが
単純に、「できない」という苦手意識がなくなっただけなのです。
別段、歩く能力にずば抜けているわけでもなく得意でもなんでもないのです。

というわけで
100kmウォークの魅力というのは、コレだ!というものではなく
人それぞれの感じ方、楽しみ方があって良いし
むしろそれが普通であるはずなのです。

100kmを歩いたことのない人からしたら
なんでわざわざ100kmも歩くのか?
車という便利なものがあるんだから
そんな無理して大変な思いしなくてもいいじゃない
自分だったら絶対しないし、無理だよ、やりたくないよ、と。

ホント、おっしゃる通りです。
自分もやっぱり、「したくない」ことはしたくないです(笑)
その気持ちよく分かります。

とはいえ、だからと言って
理解されない人に理解されないままでいるのは
どこかもったいない気がしまして
相当なお節介な気持ちも含めまして
イヤイヤ、こちら側のこんな魅力も知って欲しいのですよと
あわよくば100kmウォークの魅力を共感できるのではないかとの願いを抱いてしまいまして
このような、情報発信をさせていただいています。

さてさて、なかなか本題に入らず恐縮です。

100kmウォークの魅力は
「人それぞれ」と、半ば強引に、一方的な私見でしたが、
実はココからが本題です。

では
全国でたくさん開催されている100kmウォークイベントのうち
ぐんま100kmウォークならではの魅力について、思うところをお伝えします。

我々が掲げる唯一の魅力です。

それは
「ぐんまの地を歩く」
ということに尽きます。

えっ?と思われた方
それは大正解です。

ブランド総合研究所が発信する
47都道府県魅力度ランキングというのをご存知でしょうか?

そしてそのランキングで群馬県のランキングはどの辺かご存知でしょうか?
2016年の調査によると

群馬県の魅力はズバリ

45位です!
なんと下から三番目。

「じゃあ、魅力ないじゃん」
と言われても、仕方ないかもしれませんし
同じく、ぐんま100kmウォークも大した魅力がないのだろう、と
そう思われて当然な事実なのかもしれません。

しかしながら
これに関し、生粋の群馬県人である私は
全く劣等感を感じておりません。

最近話題の「お前はまだグンマを知らない
までは行かなくても
ぐんまという土地に
何の根拠もない誇りを感じています。

一般的に、群馬県民は群馬県が好きであるようです。
全員満場一致でグンマーではないかもしれません。
グンマ万歳というわけでもありません。
単に田舎者なのかもしれません。

群馬の歴史がどうとか
有名な観光地がどうとか
歴史的建造物がどうとうか
そういうカタチのあるものの誇りとかではありません。

唯一語れる根拠と言えば
シンプルに、
「生まれ育った故郷」であるから、です。

私にとって故郷とは、捨てる対象ではなくルーツそのものなのです。
それを否定しようがありません。

また
群馬県に魅力がないとも思っていません。
言い換えれば
魅力のない都道府県なんて存在しないと思っています。

県民性や文化、風土も含め、日本国内すべてにおいて
幾多の争いや不幸な出来事もあったとはいえ
先人たる日本人が培ってきた我が国の各地域性は
何一つ否定するものは無いと信じています。

ということで
ブランド総合研究所が発信する47都道府県魅力度ランキングからすると
著しく魅力の低い、魅力が無いと思われている群馬県でありますが

裏を返せば
魅力がないのではなく
それだけ魅力が掘り起こされていない証拠です。
決して自虐的な意味ではありません。

群馬県には自慢するほどのものはあまり無いかもしれません。
無いわけではないのでしょうが
それを自慢するような県民性ではないのかもしれません。

私個人の意見ですが
他の都道府県を蹴落とすような批判や比較によって、群馬県が上位に上がりたいとは思いません。
きっと群馬県民だけにこのアンケートを実施したら、群馬県が一位になるに違いありません。
当たり前すぎるくらい当たり前のことで、自分の故郷を否定する人が多いはずがないのです。

このアンケートは魅力がある・ないの判断をするものではないと思っています。
メディアによる流行の一側面情報だと思います。
この世の中で、どれだけの人が、全国各地を歩き回ってその地方の良し悪しを判断できるのでしょうか?

行ったことも無い場所の、そこに住んでいる未だ会ったことも無い人の、その良し悪しや、ましてや魅力なんてどうやって判断できるのでしょうか?

確かに、今では情報が増えて、写真や動画、色々なテキスト情報によって光の速さで情報を取得することができる時代になりました。
食べ物も現地に行かなくても、通販ですぐに手に入れられる時代です。

流行の移り変わりも相当早く、新しいものがどんどん出てくる世の中です。

そんな中でも、忘れたくないコトワザがあります。

「百聞は一見に如かず」

この本質を大切にしたいからこそ、流行の情報は参考程度におさめ、自らその場で感じる感性を信じたいです。

自分が良いと思ったことを、素直に「良い」と感じれば良いのです。
そこに他者が入り込む余地はありません。

さてさて
ぐんま100kmウォークのコース上やゴール地点には
PRするような観光スポットや温泉施設はありません。

温泉も山間部が多いので、ニューイヤー駅伝のコースはいたって普通の道ばかりです。

全国で開催される他の100kmウォークは、風光明媚な景色が広がったり
観光スポットを経由できたりするコースが多々あると思います。

環境は本当に大事だと思います。

景色や空気の良い自然の中など、癒される環境などであればなおさらその魅力は増すはずです。
景色とか空気とか、良い環境で歩けるのはすごく気持ちがいいですからね。

残念ながら、ぐんま100kmウォークは真逆の環境です。
車通りは多いし、排気ガス臭いし、下手すると歩道も狭い箇所もあったりと。

ある意味、人間社会のど真ん中を歩き通す感じです。
それも、街中や住宅地、河を渡る橋、陸橋、線路の踏切、はたまた街灯も少ない真っ暗な田舎道など。

それでも
「ぐんまの地を歩く」ことが魅力だと伝えたい理由は
人間社会が生み出した環境の中を歩くことで、自然から学ぶこと以外の気付き、有り難さなど感じることがあるからです。

自然の中では、ある意味文明社会の外での体験です。
そういう自然環境から学ぶことはとても多いと思います。

でも、
現実の文明社会、自然ではない環境においても、
「現実に向き合う」という点では、特別な観光やPR箇所が無くても、「歩く」ことそのものから、それぞれが感じ取る感性があって良いと思っています。

環境が良いから、とか、珍しいから、とか、そういうPRで参加が増えなくても良いと、私個人的には思っています。

ただし
せっかく来ていただくからには、色々とぐんまの良いところを見ていただきたいと思います。
ゴール後にお時間があれば、色々な箇所に立ち寄ってみてください。

繰り返しますが
ぐんま100kmウォークのコースは、普通の道路です。
そのコース上のすべてにおいて、その地元それぞれの人々の生活が成り立っている生活環境なのです。

そういう特別では無い、普段のぐんまを見て感じてもらうのも良いかなと思っています。

その土地ごとの文化って、車で通り過ぎると一瞬でスルーしてしまいます。
ですが、歩くと結構見えたりしますね。

古くからある街道など過去から現在まで、その道を通った人々、宿場町や街道、田んぼ、人々が暮らしてきた積み重ねがあって今の風景があるんだろうなぁとか、しみじみ感じながら歩くのが好きです。

はたまた、戦後の経済成長によって恩恵を受けた舗装道路をはじめ、陸橋や架線にかかる橋、線路などの社会インフラの有難さ。
昔は河を渡るのには舟だったと思うと、当たり前のように通り過ぎていた橋が、有難くなってしまいます。

夜間の電灯も同じです。
月明かりに提灯しかない時代だったら、真っ暗で舗装されていないうえに、どこから何が襲ってくるか分からない恐ろしい道だってきっとあったはずです。

今は車の排気ガスで空気が悪いとはいえ、本当に便利な世の中になりました。
コンビニは24時間空いているし、冷たいものや暖かいものは普通に手に入ります。
お金さえあれば、何も持っていなくても、体一つで歩けるくらい安全なコースです。

こういった社会インフラの整備は、先人が懸命に作ってくれた財産だと誇っています。

ついつい、悪い癖で長文となってしまいました。

こんな稚拙な文章を最後まで読んでいただけるのは本当に有難いと思っています。

ぐんま100kmウォークの魅力をどこまで伝えられたかは未知数とはいえ、運営する側がどんな考えで運営しているのかが伝われば幸いです。

我々の運営の根幹に、かしこまった能書きはありません。

ただ単純に、ぐんまが好きで、群馬県で100kmウォークを開きたい。
魅力の有る無しに関係なく、参加してくださる皆さまにおもてなしできるのが楽しいのです。

上州名物、空っ風に鍛えられた群馬県人ならではの人懐こさと大らかさで
道を行く人々がいろんな場所で歩いている方々に、一声かけたてくださる。

それがぐんま100kmウォークの魅力です。

まだまだ参加受付しております。

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ぐんま100kmウォーク実行委員会 事務局
大野 賢二

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