ぐんま100kmウォークは以下の有志により行われ、その開催の運営が行われています。
大会実行委員長 岡田晃二
第11回大会の開催から前実行委員長宮本成人(写真左)より岡田晃二(写真右)へ2021年10月28日引き継ぎ
宮本実行委員長より、ぐんま100kmウォークを引き継ぎました【岡田 晃二】と申します。
私のぐんま100kmウォークとの出会いと想い、自己紹介と併せて語らせてください。
新潟県出身で現在41歳、一般会社員です。
第7回大会からぐんま100kmウォークにボランティアとして参加してきました。
この大会の始まりの経緯、そしてその意義に激しく共感しています。
参加者やボランティア、運営する人たちの温かさも相まって、今ではその虜になっています。
「頑張れ~」と声をかければ、必ず返ってくる参加者の笑顔!
ボランティアの私が、参加者の皆さまからたくさんの元気をもらいました。
2020年の第10回大会にはボランティア側からではなく、参加者側から大会を感じてみるべく、100kmに挑戦エントリーしました。
コロナの延期を挟んで2021年当日朝、少しだけ不安はあるものの、歩けるだろうと高をくくって参加しました。
ですが、30kmの距離で、気付き、、始めました。
歩けるだろうと高をくくっていた、その考えの甘さに…
30kmを越えた伊勢崎からは、「完歩」ではなく「いつリタイヤしようか」
頭の大半を占めてくるリタイヤへの意識
境町40km 日が暮れて50km尾島町…
「寒い、やめたい、帰りたい、歩きたくない」
そんなネガティブな記憶しか残っていない真夜中の太田~桐生の道のり。
夜が明けて笠懸からの国道50号一本勝負。
次の信号で休憩しよう、次の電信柱で足を止めよう…
ゴール地点手前にある国道50号の起点ポスト(前橋市本町一丁目交差点)が、残りの距離の目安。
起点まで○○kmと、なかなか減らない表示を数えながら歩きます。
とにかく、最後までひたすら、自分のネガティブな一面と向き合い続けました。
後にも先にもこんなしんどいことは無いのじゃないかと思える100kmの道のりでした。
完歩したことで
「こんなに辛いことを成し遂げた自分には怖いものはない。」
「むしろ、これ以上の困難・苦難に出くわす方が難しいかもしれないんじゃないの?」
と
私だけの誇りに満ちた【自信という金メダル】を首にかけることができました。
また、歩いたからこそ気付けた体験もありました。
それは、【声援は次の一歩の源となる】ことでした。
関係者のみならず、近隣の方からも頂く声援から力をもらえました。
今の世の中に関わらず、自分に自信を持てない人はどこかに必ずいるはずです。
何かがキッカケで挫折し、自信を失ってしまうことは他人事ではありません。
私自身もその一人だったかもしれません。
声援がキッカケで、前に進む勇気や、自信が得られるキッカケに繋がる
そんな可能性があることを知りました。
だからこそ、自分のネガティブさと向き合い、それを打ち克つキッカケ作りの提供
ひいては、群馬を、関東を、日本を元気にできるぐんま100kmウォークの存続を熱望していました!
宮本実行委員長をはじめ、何度も運営に存続を熱望しました。
しかし皆さん簡単に首を縦に振ってくれません。やはり運営卒業の意思は固いなと気付きます。
それからしばらくして、違うスイッチが入りました。
存続を【望む】のではなく、私自身が存続【させる】を決断したのです。
何がキッカケでそうさせたのか?そうなったのか?
【自信という金メダル】の威力は、こういうことなのかもしれません。
会社員のため、所属する会社からも運営を引き継ぐことの許可をいただきました。
自他ともに、実行委員長を引き継がせてもらう準備・環境が整いました。
運営スタッフを刷新しつつも、これまでの本流をしっかりと継承していきたい。
これからも、これまで以上に、皆さまに愛されるぐんま100kmウォークを実現していきたい。
ぐんま100kmウォーク実行委員会の運営とは
あのツラかった100km踏破よりもツラい?とも聞きますが、私はそのツラいと言われるぐんま100kmウォークを引き継ぎ、とてもワクワクしています!
未来に対する希望や期待、創り出す愉しみばかりが溢れてきています。
まだまだ、新型コロナウイルスによる不安定な情勢が続くかもしれません。
気を抜くことなく、感染防止対策は継続して行きましょう。
皆さまのご健勝を切に願っております。
新生ぐんま100kmウォーク、どうぞよろしくお願いいたします!!
2021.10.28
その他メンバー
編集中